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大音量で音楽鳴らして走っている車からいい曲を聴いたことがないように、声がデカいやつの意見にはロクな意見がない。
真実は常につぶやかれるものだ。
"(via rpm99)
(via tasteful)
(via hibiky)
(via saje)
明石家さんまが昔、子供に言った一言がカッコよすぎる… : 無題のドキュメント (via mcsgsym)
(kituneから)
来たばかりのころは日本人は優しくて魅力的な国だと思いましたが、長くすんでいるといやな所にも気がつきました。
いい人もたくさんいるけれど、みなさんに知ってほしくて書きます。
1.マナーに異常に厳しいが、融通が利かずユーモアがない(ジョークやいたずらをしないけど、靴を並べないと怒る)
2.自分の気持ちに素直じゃない。損得で行動する(いつも本当の気持ちで行動しない)
3.自分が成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい(成功している人の悪口をいう。でも悪いことや失敗している人の悪口はいわない)
4.ブランド物など他人と比べる、相対的な方法でしか幸せを計れない(私の国では考えられないくらいみんなブランドものを持っている!)
5.差別はないけど、いい人でも仲間はずれにしたりいじめたりする(みんなだれかのことが嫌いなのかな。怒っている。)
6.おいしい食べ物でも文句を言う(なんで?おいしいのにといつも思っている。日本人はとにかく文句をいうが何もしない!)
7.感情表現が変(愛してるというと軽いといわれるがほんとなのに。私や私の外国人の友達もよく軽いといわれる)
8.性別の特徴をみとめない(男は強くて、女は弱い。そういうことをいうと怒る。でも女は男より綺麗でしょ?)
9.英語が話せない(日本人は小学校から勉強している?私は日本語が2年ではなせる)
10.みんな元気になるのは学校や仕事が終わってから(みんないやなのになぜやる?)
"(gallianoから)
1つ実験をしてみましょう。後ろ足のひざの後ろをしっかり伸ばして歩いてみてください。それを10分続けながら、ネガティブなことを考え続けることができますか?
ひざの後ろを伸ばすと、自然と背筋が伸びます。背筋が伸びると肩が少し後ろに引かれる感じになり、自然とあごと顔の向きが上がります。顔の向きが上がると当然のことながら 目線が上がりますが、目線を上げると、人間の脳の構造上、内面会話が確実に減るのです。
これは「ストレスゼロ姿勢」のひとつです。実際、この姿勢は、多くの人にとってストレスを感じることが難しくなります。
この姿勢のヒントをわたしはミラノのファッション業界のトップから教わりました。彼いわく、「町を歩いている多くの人の中で日本人はすぐ分かる。なぜなら日本人は歩くときに ひざの後ろが伸びていないんだ」そうです。
"(via kitune)
ネタは、出し続けることで生まれる。
ウソだと思うかもしれないが、これは本当だ。
三ヵ月何も書かずにいると、さぞや書くことがたまっているはずだ、と、そう思う人もあるだろうが、そんなことはない。
三ヵ月間、何も書かずにいたら、おそらくアタマが空っぽになって、再起動が困難になる。
つまり、たくさんアイディアを出すと、アイディアの在庫が減ると思うのは素人で、実のところ、ひとつのアイディアを思いついてそれを原稿の形にする過程の中で、むしろ新しいアイディアの三つや四つは出てくるものなのだ。
ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA’が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。
"【読書感想】小田嶋隆のコラム道 - 琥珀色の戯言 (via itokonnyaku)
ホントそう感じる。自分の場合はくだらないことしか思いつかないわけだけど、作らずほっとくと真面目になってしまう危険性が。
(via kitune)
(kituneから)
丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2:02/02 モスと間違えてマクダーナドに入ってしまった悔しさ (via laft)
(kituneから)
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こういう曲線を、最近よく考える。
ひとから何か、例えばアドバイスのようなことを言われたとする。
そうすると、最初は反発するんだが、そのうちに感謝の念が湧いてくる。反発のサージ(急峻な上昇)が収まると、ああ、ありがたいな、こういうことだったんだな、というのをあとで悟る、という感情のサイクルがある。しかもその感謝があとになればなるほど高まっていくことさえある。
だから、脊髄反射は損である。
というか、脊髄反射できるようになってしまっているアーキテクチャが不幸なのだと思う。
ネットはそういう仕組みである。即座に反応することができる。反応しなければならないという強迫観念を持っているひとさえいる。
むかし、総合誌というのが論壇をもっていたときは、論争のクロックパルスは、刊行頻度だった。しかも、各人の発言はその都度、個別の論説記事とならざるをえないから、論者の能力にもよるであろうが全体性を持つことができただろう。
図でいえば、反発のサージが充分吸収されたうえで議論が展開しやすかっただろうと想像する。
翻ってネットの論争のクロックパルスは際限なくみじかくなっている。これでは脊髄反射を助長するばかりだ。
有象無象の観客は囃したてるばかりだ。
(kituneから)